つれづれの窓から

日々かんがえたこと

おしるこの紫の池 サラサラと おこげが少し泳いでいった

小豆色の池にパックもちの焦げが粉々になって漂っている。

 

おしるこを食べたいという願望を昨年末からすくすくと育て続けていた。

やっと作戦実行に移せる。

 

トースターの網にパックもちを寝かせ、設定を調節していく。

焼き加減を5段階から選ぶことになったが、

おしるこを1、2度しか食べたことがない自分にとって

理想形を築くためにはどれくらい焦げをつけてよいのかわからない。

 

とりあえず、中くらいにしておく。

 

パックもちを焼いている隙に、こしあんと水をレンジで温めて汁をつくる。

混ぜ合わせた2つはレンジから出てきたときには、もう分離していた。

また混ぜ直す。

 

そうこうしているうちに、パックもちが焼けた。

あら、、

焦げ目がくっきり。

 

あんこの汁に浸からせると、おこげがサラサラと

紫の池に泳いでいった。

 

焼き目調節の中くらいを選んで

こんなに焦げているんだから

これを上回る出力は、もはや必要がないんじゃないか…?

 

いや、でも車と同じで通常使用において必要以上の速度(スペック)を

出力できるようにしておかないと

普通に使っただけでメカに甚大な負担がかかるのかなあ…

 

幼いころ父に質問した

「車はなぜ制限速度以上の速度が出せるようになっているのか?」

に対する答えがよぎった。

 

そうとかなんとか考えながら、食べ終わる。

 

食べたあと、悔しかったのでもう1回パックもちを焼いた。

焼き目調節を最小にすると、

ほどよくきつね色に焼き上がったパックもちが顔を覗かせた。

 

おしるこの理想形に1つ近づけたようだ。

夏だけ惜しんでいる気がする

四季の中で去り際を唯一惜しむのは夏である気がする。

 

冬の終わりは春の気配を感じて軽やかな気持ちになる。

春の終わりは初夏の緑を喜ぶ。

秋の終わりはこたつや鍋を楽しみにする。

 

夏の終わりだけさみしいと思っている気がする。

秋をむかえて紅葉や栗、さつまいもを味わいたい気持ちもあるけど、

やっぱり夏が去るのはさみしい。

 

歩いていると

プールに自転車、と夏を駆けていく子どもたちとよく出会うようになった。

私も夏が終わる前に…!とお気に入りのノースリーブを急いで洗濯する。

 

干した服にはふわふわとした綿毛が種をしっかり運んでいて

春から延びている夏の存在を感じた。

 

 

 

 

 

 

すずめと顔を見合わせる

1匹と1人、一瞬お互いに顔を見合わして
すずめは飛び去っていった。

 

 

歩いていると、

いきなり視界にすずめが飛んできて軒先にとまった。

 

すずめが近距離にやってくるのは

初めてで思わず面食らった。

 

すずめ側も着地地点に、
人間がいると思ってなかったようで驚いていた。

 

 

その少しあとに
ガアガアと
後ろから大きな音がして
大きな鳥が飛び去ったかと思い、振り返ると

今度は車庫のシャッターを上げた人間だった。

 

珍しい日。

絵は一瞬で思い出させる

表現手段において絵を描くことは、一瞬の心象風景を残しておくのに適していると思う。

 

最近、絵を書きはじめた。

今までは残しておきたいと思ったことは文章にすることが多かった。

書いたものを読み返すと、ポツポツとそのときのことを思い出す。

 

それに対して、絵はザッとダイレクトに

そのときの心の視界が戻ってくる印象がある。

 

表現する手段、媒体が増えるのは楽しい。

東口のハトが西口に進出

西口にもハトがやってきていた。

いつも東口にいるのに。

私の知らぬところで覇権争いが行われていたのかと空想した。

 

歩く。一面に広がる葉の緑に真っ赤な花がぽつぽつあって美しい。

強い色は全体に少しだけ添えるとよさそう。

まさに自然学習。

 

 

えだまめと甲子園

甲子園を観ながら、まだ温かいえだまめを食べる。

ゆで卵も一緒に茹でて、一石二鳥に満足。

(昨日から目論んでいたので実行できてよかった)

 

もはや体温に近いグラウンドは

暑すぎるのか少し白っぽく見える。

 

熱っぽいアナウンスもマネージャーの日焼けも声援も

すべてが夏。

 

ぽりぽりとえだまめは止まらない。

 

季節ごと味わう。

そらまめ

ふかふかの白いベッド。

大切に包まれているのがかわいくて

ふふっと笑顔になる。

 

綿にさわったあとの指が少しベタッとする。

植物なのだな。

 

にんにく塩をかけて焼くと

ジンジャーエールによくあう。