つれづれの窓から

日々かんがえたこと

腹筋と自転車は実は近い

いきなりペダルがふっと軽くなるように

腹筋するとき、上半身をいつもより上げられるようになっていた。

 

自転車にはじめて乗れた日のことを思い出す。

 

どんなに練習してもなかなか乗れなかったのに、

突然、ふっとバランスを保てるようになったスーパーの駐車場。

 

あの感覚。

 

わずかな幅の車輪の上でも身体を安定して乗れるようになったあの日。

 

いきなり身体の機能性が拡張されたような。

 

突然に驚きながら、これからのことを考えている。

雨がもう、夏のようだよ

「雨がもう、夏のようだよ」

 

朝、パートナーに言われて窓から天気を観察してみる。

普段どおりのくもり。

夏といえば夏か……となんとなく思って

密かに夏を感じようと試みた。

 

朝のことがおぼろげになった頃、

部屋の中で運動をしていたら意味がわかった。

 

空気の湿度がジトッとして身体が蒸される感覚。

まだ4月なのにもう春ではないんだなと季節が駆けていくのにドキリとした。

 

風が吹いても、もう寒くない。

湿度をまとった空気が肌をなでていく。

 

夏は湿度から感じることもあるらしい。

 

 

 

 

 

 

書くことが嫌いなのではないとわかってよかった。

好きなことを仕事にしているのにしんどかった。

毎日文章を書けて、やりたいことが叶っていた。

 

でも、嬉しかった期間は意外と短く、

少しすると四六時中書き続けることがなぜか辛かった。

 

考えてみても、明確な理由はみつからなかった。

理由がわからないからこそ、自分は書くことに向いていないのだと思った。

 

そのような中、ひらいめぐみさんの本『転職ばっかりうまくなる』に出会い、

それは考える時間が自分になかったからだと気づけた。

 

ほんの一節でしんどさの理由が腹に落ちた。

 

会社員としてライターをしていた頃は、とにかく考える時間、文章を書かない時間が欲しくてたまらなかった。毎日なにかしらを書いていると、どんどん自分の文章がうすっぺらくなっていくような感覚になる。文章と、考える時間はセットなのだとわかってから、フリーでは必ず文章以外の仕事をしようと決めていた。

ひらいめぐみ著『転職ばっかりうまくなる』

 

日々アウトプットに追われて、書けている実感がなかった。

残業が続きプライベートの時間はなかった。

 

今振り返ると、考える時間が圧倒的に不足していたのだ。

 

結局、書くことは嫌いになりきれず、

こうして今日も書いているのだから大丈夫だと自分に言い聞かせている。

 

ちいさな傷にも手当てを

布団の中で踵の上が染みると思ったら、小さな傷ができていた。

浅い擦り傷だったのですぐに治るだろうと

消毒だけして日々のあれこれに向かっていた。

 

数日経ち、急いで靴を履いた時にまた擦れて傷ができてしまった。

 

結構痛い。君は靴擦れだったのか。

新しい靴ではなかったので靴擦れだとは考えもしていなかった。

 

擦れると再びやってくる痛みを恐れて出先でよたよたと歩いた。

 

道で知らないおばあさんに尋ねごとをされた。

あれこれと言い訳をせず、まっすぐに尋ねて

「ごめんなさいね」と軽やかに去っていった。

 

あのように年をとりたいと思った。

 

 

帰宅して急いで手当て。

自分をぞんざいに扱っていたなと気付きながら絆創膏を貼る。

 

少しせかせかした気持ちが落ち着いたように思えた。

 

 

 

 

春の気配、上向きチューリップ

穏やかな空、スーパーに並ぶチューリップ。

春の気配が漂い始めてうれしい。

 

思わずいつもより1枚薄手で外へ。

数十歩歩いて風はまだ冷たいことに気づく。油断。

 

歩いていたら、道を聞かれた。

聞いたことがない目的地。スマホで調べたがヒットせず。

 

どうしようかと思っていたら

ちょうど付近に住まわれているであろう方が現れ、ひょひょいと解決。

 

暮らしの中で積み上がっていった知識はインターネットよりも

人を助けたりするのだな。

 

花瓶に自らの重みを任せるようにして

しなだれていたチューリップ。

太陽の光でしゃんと上を向き直していて少し驚く。

光合成の力、すごし。

 

 

 

 

 

 

 

そのままの自分で苦いバレンタインデー

バレンタインデーの思い出はいつだって苦かった。

 

なぜか明らかに私を好きにならないであろう人に惹かれた。

タイプは蠱惑的な子やちんまりしてかわいい子。

私はそんなタイプではなく、見込みのない恋ばかりしていた。

 

アプローチなるものも照れくさくてできなかった。

 

なのに友人との恋バナで舞い上がってはいっちょ前に想いは伝えてみたくなる。

そんな私にとってバレンタインデーは好機。

出たとこ勝負に賭けることができた。

 

呼び出したり、待ち伏せしたり

なにかとコソコソとするわりには

いつも(とはいっても2回だけだけど)友達が傍らにいたように思う。

 

2回とも「ありがとう、」から始まる優しい断り文句をもらい、

近所のシダックスに行ってはaikoを熱唱した。

1人になっても、なんで私じゃないんだろうとさめざめと失恋に浸った。

 

それでも想いを伝えるとすっきりして

それ以上は引きずらずに済んだ。

 

好きな人のタイプに近づこうともしなかった。

初めから自分はなれないとわかっていたからだ。

 

それに自分をだれかに近づけて好きになってもらったとしても

それは自分を好きになってもらったのかわからないと思っていた。

 

傷ついても自分でいたかった。

好きな人に好きになってもらうよりも、

そのままの自分を好きになってくれる人を探し続けた。

aikoと今まで、これから

切なさも、楽しさも、悲しさも、愛しさも

メロディーにのって自分の心のひきだしから引き出されていく。

 

皿洗いをしながら、aikoの曲をいろいろ聴いた。

 

 

aikoをはじめて知ったのは小学生のころ。

ドラマ『ホタルノヒカリ』の主題歌だった『横顔』。

 

ひたむきに駆け出していく恋心を描いた

歌詞とリズムに惹きつけられ、すぐにTSUTAYAへ。

 

やがてすぐに

今までの初回限定盤アルバムをヤフオクで探し回る少女が誕生した。

 

一番好きになったのは『二人』。

親しかった男友達に片思いをしていた。

 

聴いていると、

切なさを「わかるよ」といってもらえる気がして何度も聴いた。

 

友達に恋バナをしているときとは違う、

心から感情を直接引き出してもらっている感じが心地よかった。

カラオケで歌うと、切なさを叫べた。

 

あれからいろいろな人の歌を知ったけれど、

どうしてもストレートに感情をのせて歌いたくなるのは、aikoだ。

 

 

時が経って変わったこともある。

 

歌詞を聴いた瞬間、

少しヒヤッとして「これ、私のことだ」と思う曲が変わったのだ。

 

それにはやっぱり傾向があって、

曲を通して自分は変わったのだとしみじみ感じる。

 

もう、ある人のことばかり一日中考えたりしないけど

大人なりに日々のシアワセや人への愛しさを感じていきていきたい。

 

何事もなく楽しく過ぎて行く日々を

つまらないと吐いたあの頃のあたしに

逢えたなら必ず言いたい 

楽しい事なんてこの世には死ぬほど沢山あるのよ

だから笑うのもっと笑って逢いに行こう

 

aiko『未来を拾いに』(作詞:AIKO